作家ドロシー・ギルマンの素晴らしさについて(今後も追記予定)

アメリカの作家、ドロシー・ギルマンとのタイミングバッチリの出逢い。

このことは、2015年の重大トピックスのひとつに挙げたいと思います。

 

ドロシー・ギルマンは「おばちゃまはスパイ」シリーズを代表作に持つアメリカの作家、というのを知ったのはつい最近のこと。

 

(何度か書いているかもしれないけれど)

私は図書館(本屋さんもネ)は宇宙とつながっている!と思うことが多々あります。

(それだけではなく周りをみまわせばたくさんのサインとメッセージはたくさん♪)

 

図書館と(本屋)での邂逅、と呼びたいような出逢いの時は、

タイトルを眺めることもなく、

トリックみたいに一冊の本にあれよあれよと吸い寄せられて、

気がついたら手にとっている。

選択している感覚もなく、ただ吸い寄せられる。

それで、その本を読むと、「あぁ納得、そうだったのね」となるのです。

魂が呼ぶ出逢い(本当にそんな気がする)というか、

腑に落ちるというか、膝を打つ、というか。。

 

今回のドロシー・ギルマンとの出逢いは、

先入観を取っ払おう、という教えでもあったかもしれない…

というのも、正直に申し上げると…

表紙のイラストは「ジャケ買いはしないだろう…」というような私好みではなく…

「おばちゃまはスパイ」というタイトルでも手に取らなかったかもしれない…

しかし、

ドロシー・ギルマンの唯一のエッセイといわれる本、

『ひとりで生きる勇気』に図書館で吸い寄せられて、

読んでみると彼女の言葉や生き方、思想に私はとても共感し感動した。

 

ドロシー・ギルマンは一般にミステリー作家として有名のようだけど、

元々は児童文学からスタートしたらしいです。

私は彼女をきっかけに、ミステリー小説の面白さまでも知ることができて、

新しい楽しみの追加に喜び感謝したい気持ちです。

 

ドロシー・ギルマンはミステリー作家でありながらも、

エッセイでも小説でも、彼女の言葉、文章から私は、

スピリチュアリティをたっぷり感じるのです。

時代、次元、国籍を超え、

理解者というか仲間というか共感、リスペクトできる人に出逢えた喜びがあります。

文中に主人公などの胸中や感情、思考などの描写でサラリと心に響くことが出てくる。

そのメタファーもシンプルで時にユーモアを交えていて面白い。

私はメタファーが好き。自分が説明する時もされる時も。

比喩を使うことは理解や想像を助け、わかりやすくイメージがひろがり、

さらに時にはメタファーがメタファーを読んで物語になる。

 

彼女を知った現在2015年、ドロシー・ギルマンはすでに

ドロシー・ギルマンとして生きた肉体からは旅立っている。

もし生きていたら、私はおそらく熱いファンレターをアメリカへ書いただろう。。

 

このように、私にとっては彼女の著作でいえば後半期に出版されたエッセイがスタートとなり、感動、共感し、そこから私は彼女の小説へも旅をはじめることにした。

 

まずは短編からスタート。

『伯爵夫人は超能力』、そして『メリッサの旅』

そこから例の<おばちゃまシリーズ>の最初の2冊。

そしておばちゃまシリーズのインタバールに『アメリア・ジョーンズの冒険』

どれもが「あー面白い!」と声に出して言えるほど楽しんだ。

今はこの「アメリア・ジョーンズの冒険」の途中、

この本からひとつ抜粋→

 

P76(文庫版)

どうしてあんなに屈折した人間ができたのだろう。だれもあんなふうに生まれつく人はいない。きっと生きていくうちにどうしても動かすことができない障害に突き当たってしまってねじれてしまうのだ。それはちょうど成長する足が靴の形に押さえつけられて伸びようにも伸びられずに肉も骨も曲がってしまって奇形になるのと似ている。

 

 

主人公が後味悪い人物と面会した直後の文章。

 

いつも私自身が感じるようなことで、更にこれを読んで改めて思うのは、

取り巻く環境やパターン化、癖などを変化させれば人はいくらでも変わる事ができる。

そのどれもが大きな視野で捉え、辿っていくと(前世などもふくめれば)

すべて自分で選択し、必要なことなんだな、(輪廻転生も含め…)

と思うことにしている。

様々な矛盾や理不尽さを受容するために、

私にはこの仮説を大黒柱としてマイライフに建てることはとても助けになる。

過去に縛られず、自分も周りも許すことができるはず。

ドロシー・ギルマンはエッセイでもいくつかのメタファーを使って、

「今、ここに生きる」という大切さを書いていたな。

 

あらゆるところにメッセージと真実はちりばめられている、

それを予期せぬタイミングと場所、人、機会から受け取れるということは

とても素敵なことだろう。

人の気持ちや体調は毎日変わる。

その時に最善だと思う選択を失敗しても繰り返していくことでいいのかもしれない。

それでどこに辿りつくか計画もなくフラフラ寄り道だらけで

「振り返れば絶景」というのは私の理想。

寄り道こそが最大の目的のような気さえする。そして創造!

努力や気合いという言葉をなかなか使えない私、

しかし寄り道の継続も力になるかも?とは言い訳かな(^^;

 

 

これから出逢うすべての人、本、場所、文化、機会等々から、

フレキシブルに私という人間、人生が変化し、

愛とユーモアと創造性、芸術性と共に楽しみながら

自然、地球環境、人々、動植物、子供たちの未来、よりよい社会のために

貢献、役立ち、活躍し、成長、バランスしていきたいです。

これは、私の毎朝のお祈り、アファメーションのようなものです。

起き抜けに窓を開けてお空に向かってつぶやく。

このあとテーブルや棚の拭き掃除と珈琲を淹れる作業。

朝の日課、すでに儀式。

 

呼吸や瞑想などもそうだけど、自分が落ち着いたり、切替えになったり、

ちょっとした儀式的なことがあるととてもいいな、と思います☆

 

 

 追記>

ドロシー・ギルマンの作品は一度だけではなく、

何度も読み返して熟成されると思う。

ミステリーはテンポよく読み進められて面白いけれど

随所に彼女の豊かな思想がちりばめられているから。