地球散歩

日記替わりの暮らしの備忘録【すべては機会】自然、太陽、海、森、渓谷、旅、音楽、ダンス、創作、自然療法♡

第2の故郷(気持ち的には第1)タイの島へ2年ぶりの帰郷

ここにいると、とにかく笑う事が多い。

歩いていると、友人知人にどんどん会うので挨拶を笑顔で交わし続けるわけです。

多国籍なもんだから、その挨拶言葉も多言語で楽しい。

心がとても軽やかにキラキラとウキウキとするのです。

 

ここは、第2の故郷(気持ち的には第1)タイの島。2年ぶりにやって来た。

完全なる日記だが、嬉しくてここにも書いておこう。(長いぜ!)

 

ここのところ、

私は体調を崩し、疲れというか、気分転換が必要だなと思っていた。

新しい風を吹き込みたくて、

行ったことのない場所へ行きたいという気持ちもあったけれど、

体力や予算などの心配もあったし、いろいろ候補がでまくって考えすぎたあげく、

過剰調査やリスク計算などを始めだし、頭の中がカオスになったので…

 

「おっといけない!カオスだぞ、こうなったら一番大好きな場所に行こう!」

 

とやっぱりこのふるさとに来た。

ここに来てからあとのこと考えよう、感じよう。それでいいじゃないか。うん、いい。

 

思い返せば12年前、この島にやってきて、一目ぼれした。

当時、友人とパリに行くはずだった計画が友人が行けなくなってしまい、

おフランスへ一人旅はちょっとビビり度が高すぎて…

ぽかんと穴のあいた旅心をどうしたものか…と思っていたその矢先、

幼馴染がタイ旅行中で、この島でダイビングのライセンスをとっていた。

(彼女は冗談半分で)「遊びに来ない?海好きでしょ?きれいだよー」

とメールをくれた。

まさに神のお告げにしか聞こえなかった私は、2つ返事で

「イエス!行くよ!最短で行く!」

とすぐに航空券を買い、数日後に来島した。

そうして、私の初めてのバックパック旅となったわけです。

それまではガラガラとキャリーケースを転がし、ツアーか社員旅行の海外旅行だけ。

海外への飛行機に一人で乗るのも初めてで、勿論タイも初。

現地到着まで緊張でほとんど眠れなかった。

 

私が島に到着してから数日後の幼馴染のダイビング講習終了を待って、

タイのいくつかの地を2週間程2人で一緒に旅する予定だったが、

私はこの島からどうしても離れたくなくて、

「ね、私はこのままこの島に滞在していい?ごめん!youは一人旅をつづけてくれぬか…?」と頼んだ。

さすが長年私を知っている幼馴染は、私らしい、と笑ってOKしてくれた、感謝…

そういうわけで、

この島と私がその後どんどん深いつながりを持つようになり、

幼馴染はこの島と私のキューピッド、ということになったのだね。

本当にありがたいこと!

それで、幼馴染とバイバイしたその後、、、、

 

私はどんどんこの島を愛し、2週間後にいったん帰国→

翌日すぐさま2か月オープンの航空券をとり島へ戻る→

その2か月後にも帰りたくなくてその航空券は破棄→

そしてまたもや再度とった航空券を破棄(結果2枚の航空券を破棄)→

2か月間日本語を話さずタイ人友達とタイ語だけの特訓、それなりにちょっとタイ語ができるようになって楽しみや得すること増!そして英語を使う機会も増え語学の楽しさを知る。毎日泳げる幸せと数々の楽しい出逢い。そんなふうにして1年近く住み着く→

その後ほぼ毎年のように里帰り、

 

ということになった。

 

ここから海外旅行も一人でガンガン行けるようになった。

世界が広がる感覚が気持ちよかった。

 

この島は、人種が多国籍で、波動も自由な感じがある。

ただ残念なことに(よくある話だけど…)この数年でリゾート化が過剰に加速、

治安は多少悪くなり、建物が増え、ごみが増え、自然は減って海の透明度も下がった…

12年前のこの島の海は、それはそれは息をのむほどきれいだったのだよ!

 

この島を好きになった事をきっかけに、日本でもいろいろな島をめぐるようになった。

これまで行ったどの島の自然も素晴らしいけれど、

私の心のふるさとは、どんなに変化してしまってもこの島なのだなと思う。

 

ずっと家族のように世話を焼いてくれたり、話が尽きないタイ人の友達たち、

いきつけのカフェや宿で働くミャンマー人の友達たち、

ずっと島に住んでいるその他欧米外国人の友達たち

タイ語ではアジア人ではない欧米人のことをファランと言いますねー)

みんな再会するとハグして歓声をあげて喜び合う。

本当にありがたくて幸せ♪

 

島で再会する友人知人、景色、波動などなどは、

来る度に私自身の変化や周りの変化に気づかせてくれて、

いろいろな想いがめぐるわけです。もちろん今回も。今回は特に。

 

もはや、実際に来島しなくても、思い描くだけで癒される域にきているかもしれない。

 

私は海が大好きで、海の中にいる時が一番「今ここ」に在ると思える。

嬉しくて泳ぐというより海中ダンスをしている感じなのである。

疲れたら浮いて休みながら太陽を浴びる気持ち良さ。

小さい頃は、ほっておくと日が暮れても海からあがらない子供だった。

あとは同じくらい森も大好き。暮らしに森必須、植物は自然療法のメインでもある。

緑濃い森の中にいると呼吸が深くなって力が抜ける。

大好きな海と森が両方ある「島」が好き。半島も好き。

(長野は海がないけど例外的に大好き。)

そして、都市ならではの楽しみ(音楽、映画、本屋等)も離れると恋しくなる。

(時々でいいけど)

 

要するに、私にとって大事なのは、

停滞しないこと、気分転換をこまめにはさむこと、淀まないように流れることが、

私らしく良いエネルギーを循環させるポイントなのかもしれない。

 

そうして、私なりに「生きる事」について考えると、

(特にリラックスできるところにいる今考えるのは重要参考である)

ある時、ふと、突然、

「あぁ!そういうことか!」

と、これまでの点と点がつながるような、ひざを打つような、何かスパークする瞬間、

常に、潜在意識が水面下で大きな仕事をしていて、

それらが何か化学反応みたいにコンプリートした瞬間のその時がまさに、

「自分の哲学が出来上がっていく実感」みたいなことである。

感極まり、その瞬間こそ生きている楽しみで目的なのかもと思う。

その時すぐ空(宇宙)を見上げる。

 

だからこのような私の感じる生きる喜びのようなことを、

人にも(自分にだって)うまく説明できるものではないかも。

まさにビッグバンのような彗星のような宇宙的なことだから宇宙的視点で捉えたい。

小さな視点であれこれ動揺したり、変に言葉にしようとしたり、

話のわかりあえなさそうな人と話そうとして消耗したり、

手段と目的を取り違え、自分らしくないことをしないように気をつけようと思う。

そういう「本当の自分でないことたち」が積み重なると病気等の方法でサインがくる…

そのことは今回の病気でもまさに「痛感」したような気がする。。

 

そんなわけで、起こること全部に意味は十分にあるけど、

その意味を追求しすぎたりしなくてもいいと思った。

都度、気持ちよく循環するように心がけることが大事なのではないか。

 

ありゃ、

説明できないことを説明しようとしておかしくなってきたな(^^;

 

さすがに今回の旅で体力が今までとは違うと感じるし、

いろいろあっても、ちょっとばかりの無理をしても来てよかったなと思う。

浄化され充電され良いリハビリになっているものね☆

 

とにかく今は、

太陽と海、そしてジャングルのような緑いっぱいの森、

グラデーション鮮やかな夕陽、を満喫している。

感謝!

結論!自然は最高のナチュラルメディシン☆☆

 

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この道を抜けてジャングル経由で大好きなビーチへ行く。

ブーゲンビリアが咲き乱れる島内。花々の美しさと素晴らしい芳香がたまらない。

(今の端末のカメラはブレるし、光の加減がどう設定しても、どうもなんか変…)

 

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 ↑

体力的に長居はできないが、

ビーチに寝っ転がって音楽を聴く。

日記を書く。

本を読む。

ぼーっとする。

海面のキラキラをじっと眺める。

人間観察をする。

太陽を感じる。

暑さが限界になったら海に入る。

海の中で踊る、泳ぐ、浮く。

最高☆

 

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夕陽をみることのためだけに時間を気にする。

大体夕方6時半くらいにはシャワーや洗濯をすませて夕陽鑑賞スタンバイ完了。

 

I'm so grateful for everything that has happend in my life.