このブログ、私なりの自然療法研究の備忘録として書き始め、これまでもたくさんの視点、価値観、考え方や暮らしのいろいろの変化があった。
このブログ内の過去の記事と今では考えが変化したこともある。
今は人生の中でも大きな心の旅、意識改革の途上にいるように感じていて、
健康に関しての取り組みや考え方も変わってきた、変わっている最中。
そしてこれからも変化は続くだろう。

ちょっと前に類似記事をnoteに書いたがまたメモ。
最近、治癒についても含め、世界観みたいなものがどんどん変化している。
なので、ここに記録してきたことのいくつかは(全てではないけれど)今なら選ばないことも増えた。
このブログはもともと治癒記録メモ、がメインだった。
20年前くらいの転換期を過ぎて以降、
薬や病院という手段にすぐ飛びつくことに違和感を持った。
親戚に深刻な薬害を受けた人もいるし、祖父も院内感染が原因で旅立った。
世の中の多くにもそういうことがあるけど、医療や薬を全否定もしていない。
救急医療は感謝だし、治療や薬も使い方次第だったり、良い医師も存在していると思う。
ただ眉をひそめたくなるような医療、治療、そしてそれを煽る世の動きなどにはかかわりたくないないなぁと思ったり。
私は深刻に体調を崩して以来、
ずっと自分の不調や症状を自分で治したくて、
納得する治癒について調べ、実践し試し続けてきた。
「一生ステロイド服用」と言われた大学病院を信じず、自己免疫疾患を病院と化学薬は一切なしで寛解したことは良かった、と記憶にある。
その時に信じていたものが私の現実になったともいえる。
で、今はどんどん「意識」について重要視している。
生きてきてインパクトのある記憶や、繰り返し刷り込まれたこと、
要はその人の信念や観念がベースとなってその人の現実ができているように思う。
何かをネットなんかで情報を調べていても、
アルゴリズムやエコーチェンバー的なものが働いて、
自分の目や耳に入る情報は似通った、偏ったものになる。
現実と思っていることも、そんなふうに自分の信念の反映に思う。
極端なオカルト視点ではなく。
だから健康についても、自分のいろいろを観察してみると、
ああしたからこうなった、生理前だから、更年期だから、人混みに行ったから、などなど、、、理由や原因をつくっては問題にしていることが多いのかもと思った。
不快、不安、不満に結びついていれば、それに沿った問題を持ち続け、
不安を動機に解決しようとする。
その対処を繰り返して負のループにしていることがあるかもしれない。
問題解決よりも創造的な動機がいい。
労わること、癒す気持ち。
何より、体や心の威力はたぶん予想以上だから、
アレコレ対処しようとして、自己治癒力、自然治癒力を邪魔したくない。
信じて任せることでいい、っていうことは多いかもしれないし、それを実感、体感することもある。
なので、体や心のケアについても、
気持ちいいからセルフマッサージをする、ホッとするからあたためる、おいしいから食べる、など、自分の好きなこと、快適なほう、軽やかなほうを選ぶ。
ここまできたら、自分の感覚での選択は信じられるし、
シンプルに軽やかに執着や心配を緩めていくことが、きっといいんだろうなぁ、と、
ここまできたどの道もあってこそ、で思うのかもなぁ。
いろいろあっても完璧ですわ。
とオチをつけていきたい。

アドラー心理学でも、
トラウマの存在は認めるけど、そのトラウマの影響を今も持つのは自分の選択、ともいう。
でも癒す?手放す?までに段階を持ったり、遠回りしてもいいし、
今すぐ解放してもいい自由があるのかな。
自分のからだやこころはいつだって治癒へ向かっていってくれている。
これはいつだって変わらないことなんだよなぁと思う。
私は、それへの信頼と感謝を少し欠いていたように思う、とにかく治したくて必死で。
そもそも炎症、痛みも治癒に向かうからだのはたらき。
それを邪魔するような薬や治療は多い。
もちろん、治療が治癒への助けになることもあるけど、
邪魔になるケースの方を多く見聞きしてきたように思う。
かといって、西洋医療を全否定するのではなく、
自分が納得できるかどうか。
短期間だけ治療でl助けてもらうケースもあるかもしれない。
私は今も、何か体や心で不調や問題にケアが必要だと思った時、
自然療法を今でもファーストチョイスとしている。
日々、チンキやレメディをとり、サプリも時々活用したり。
大事な確認ポイントは、自分が心と頭の両方で納得できるか、体が受け入れているかどうか、なのかも。
これは、病気などの治療や治癒以外のことでもそうなのではないかと思う。
溢れる情報社会で、情報に翻弄されたり、調べることや、正誤を判断しようとすることが目的のようになって疲弊して新たな問題ができるなどの本末転倒ケースにも注意。何度それをしたことか、、しかしそこから学び得ること、その経由だからこそ知ったことは多い。
そうこうしてきて、今思うのは、
必死に症状についての対策を調べたり、治そうと躍起になるより、
今日はこのレメディやチンキに助けてもらえそうとか、サプリもとってみたら安心な日だな、とか、心軽やかに日々変化する心身状態や状況に沿って行く。
やっぱりハーブや植物、ホメオパシーはその原理や香りや構造などが好き。
エネルギーが軽やかだと思えることが指針なのかな。
そういうわけで、最近はアレコレと治癒計画をしたり、手を出し過ぎない方向転換がある。
木漏れ日や海、森、夕日などを眺め、リラックスする時間は素晴らしい癒しだと思う。
そうやって納得できたり、気楽に思えることを積み重ねていくことを観察していきたい。

思えば、中山式快癒器には長年助けられてきたように思う。
「原点回帰」「アナログ回帰」「自然回帰」をスローガン?にしている私としては、
アナログ式セルフケアの代表のような中山式快癒器は、理想的な健康器具だと思う。
電源の必要なし、ほぼ場所を選ばず、持ち歩きも可能。素晴らしい。

幼少期の頃に親が使用していて、実家にずっと存在していた。
(当時、同メーカーの電動式のマッサージ器具もあった気がする)
友人知人、親戚の家にもちらほらあったりして、昔から馴染みのものである。
実家を出た10代の頃に、自分用に2つ球と4つ球のセットで購入した。
それは引越か何かで紛失し、現在手元にあるものは2回目の購入。
一言で言うと、「ロングセラーの理由がわかる」。
他のマッサージ道具と共に、私の頼りになるセルフケアの強い味方。
寝る前の定番セルフケアコースとして、まずぶら下がり健康器にぶらさがり~足もみ(時々踏み版で手抜き)~マッサージ~ヨガ、ストレッチをしてから布団に入り、
中山式快癒器をあててから寝る。(就寝中はもちろん外す)
その日によって、セルフケア内容はいろいろ変わる。
中山式の使い方は、基本的に2つ球を使って背骨をはさんで移動させていくのと、
ハムストリングスの硬くて痛いところにあてる(特に左)、
ほかに何か不調があれば場所を追加したり時間の加減をする。
私は歪みによって?左側は下半身、右側は上半身に不具合や痛みが出ることがあり、
そういう時に、中山式をいろいろとアレンジして使ってみる。
時々あるキツイ腰痛の時はほんの短時間あててみたり、
肩甲骨が神経痛のように(四十肩?)痛む時も肩甲骨の際に沿って移動しながらあてていく。
(この症状の場合はホメオパシーのレメディで即効性のあるものがあり併用するとすぐ緩和)
すべり症的なのか?背骨が出っ張って痛い時も、背骨の真横に左右交代であててしばらく横になっていると翌日は痛みが和らいでいたりして、
ちょっとしたことなら、セルフ矯正できるんじゃない?と思うことも時々ある。
前に施術してもらった整体の先生も「寝る前に首から腰まで中山式をあてている」、と言っていたな。
これで劇的に改善!完治!ではないけど、自分のからだを労うセルフケアとしてコツコツ続けていると、安心したりで心にもほんの少し良いのかもしれないな、なんて思う。
そして、今は究極の自然療法と思うことを実践しているのだけど、、
まだ効果、体感についてはまだ観察要といった感じで記録をまとめるにはまだ時間がかかりそう。
この療法は、10年以上前に一度実践したけど、
いつ、なぜやめたのか思い出せないのがちょっと不思議。
あまり恩恵を感じなかったからだろうか?むー思い出せない。
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人は理解されないことや、交流が上手くいかないことが蓄積されていくと、
怒りや、被害者意識、屈辱などへじわじわと変化していくことがあるのではないか。
(最近、怒りについての現段階の解釈を書いたけど、今回も類似内容?!)
それらをため込むと、自分か他人を攻撃するようになるかもしれない(時々両方も)
過剰な自己防衛も時に、攻撃のようになったり。

老廃物を流す大切さを改めて知った。
セルフケアでも続けると変化を感じる。
解毒。
代謝や消化がわるいことは前から気づいていて、
何かしら対策をしているつもりだったけど、
あちこちに老廃物が溜まりに溜まり、まずは老廃物をなんとかすることかもと思った。
押すと痛いところ、なでる位の触り方だけで痛いところ、
そしてゴリゴリとしたしこり(耳下腺リンパ、首、顔など)、
瞼などの腫れぼったさなどなどなど、、、
老廃物流れず、酸素も栄養も届いているのか、リンパの詰まりがすごそう。
リンパは軽く流すとか、筋肉はあまり強い力をかけてはいけない、とよく聞く。
セルフケアについての動画はたくさんあるし、
いろいろな方針、意見、体質、人によって合うケアはそれぞれ。
私の場合は「痛気持ちいい」というのは力加減の目安として、
触りながら身体に聴いていこうと思う。